地域情報化の「今」を探して
内閣官房勉強会 開催
投稿日時: 2008年10月30日 (3615 ヒット)

 

2008827日に内閣官房情報通信技術(IT)担当室にて第2回地域活性化勉強会が行われた。本勉強会は各地のインターネット市民塾メンバーにより構成され、各地の取り組みを共有し、活かしていくために設立されたNPO法人地域学習プラットフォーム研究会が主催となって行われた。この勉強会の目的は行政、民間企業、NPOという普段なかなか集まることのできない様々な立場の方々が、一同に集まり各々の活動に対して今後のことを色々と考える場としてだけでなく、地域が今後のことを自ら考えていくための新しい視点を持つための機会として開催された。そのため富山、和歌山、徳島、高知をはじめとした各地域において実際に現地で活動されている勉強会のメンバーが発表するとともに、自由で活発な質疑応答、意見交換が可能となっている。第2回目は「大学が育てる地域の力 ~情報共有からインテリジェンスへ~」をテーマとして、徳島大学教授でもあり、NPO法人徳島インターネット市民塾副理事長でもある吉田敦也氏、日経メディアラボ所長でもあり慶應義塾大学客員教授でもある坪田知巳氏による講演、質疑応答、意見交換が行われた。


 (第1部)


 徳島大学の吉田教授は、ご自身の創設なさった地域創生センターの概要のお話から始まり、インターネット市民塾とはなにか、それを大学で実施する意義やそれが求められる社会的要求についてお話になった。


地域創生センターは、大学の第三の使命といわれる社会貢献の立場から、また、これまでの徳島大学地域貢献事業の成果を踏まえて、地域の再生・活性化に関する課題解決に取り組み、地域ICT化、商工農林水産業等の活性化のあらゆる面で、目に見えた変化を起し、魅力・活力にあふれる徳島づくりをめざすセンターだそうで、地域の中にマインドを創りだし、地域一丸となることをモットーとして掲げているとのこと。


地域創生センターに関するお話が済んだところで、次に本勉強会の主題ともいえる、インターネット市民塾に関してのお話へと話は移っていく。


そもそもなぜ大学がインターネット市民塾を開設するのか。吉田教授によれば、それは地域における必要性の問題と現代の大学という場の機能の拡充の問題に起因するという。


現在、日本社会においては大学の機能拡充が求められている。具体的にいえば、大学という場に、教育、研究とともに、授業ではなく大学としての社会貢献という機能が文部科学省から求められており、大学を通して地域への予算を配分するというスキームが一般化しつつあるのが現状である。大学という場は閉じた教育機関としてあるべきではなく、大学改革を通してユニバーサルにあらゆる人がアクセスできる大学像を作り上げることがミッションになってきていると吉田教授は語る。


こうした大学側の問題とともに、地域における問題として情報不足が挙げられるとのこと。吉田教授によれば、現在地域には情報が不足しており、かつ地域というのはそうした情報を配信するような仕組みを作ることを苦手とする存在である。まちづくりや生涯学習の分野に関する必要な情報が簡単に、かつ魅力的に手に入るような、「情報コンビニ」と言えるものをつくることが必要であると吉田教授はおっしゃっていた。そうした地域での問題と大学での問題を総合して考えたとき、地域に必要な情報を提供するという役割を大学が担ってはどうかという考えが生まれ、そのための具体的かつ現実的な手段としてインターネット市民塾が採用されることとなる。インターネット市民塾は、ローコスト、ハイパフォーマンスのシステムであり、なおかつシンプルで生涯学習などをスペックとして標榜するシステムとしてまさに考えられる範囲で最適なシステムであった。吉田教授によれば、市民塾とは地域情報化のデータベースをモールとして展開する仕組みであり、参加は自由、参加者はノウハウを共有するという内実を持ち、「学び」という概念を軸にして地域再生を実践するシステムであるとのこと。特色は草の根方式であること。コンテンツとスクーリングというオンとオフの二面性を持つシステムであり、コンテンツとしての講座開設は講師である市民が独自採算を行うというビジネスモデルを有する。市民塾は、従来型の情報データベースには実現不可能であった、知と情報の結合を可能にし、情報の受け手と与え手の互換性を持つものであり、オフラインだけでは不可能なコミュニティ形成を可能にするのではないかと期待されるシステムである。


しかし、一見完成されているように見える市民塾であるが、ある問題を解決することなしには多大なる影響を地域に及ぼすことは難しいのではないかと考えられる。吉田教授のおっしゃるように、地域に住む人々はインターネットというものになじみが薄く、ITがしにくいという問題である。インターネットによるコミュニティ生成を標ぼうする市民塾だが、地域はITを必要していない、メールを使用しないというパラドックスが存在し、これをいかにして解決していくかが市民塾の今後を大きく左右することは間違いないように思われる。また、市民塾は講師が自身の講座の採算を自由に設定することを前提にしているため、市民塾がビジネスとして成り立つのかを彼らは考えておらず、結果として自律的な経営は不可能となるため、受託事業としてビジネスを成立させているのが現状である。さらには、現代社会における、ICTの資格化、制度化の波にいかに関与していくかということも市民塾の課題であると吉田教授はおっしゃっていた。


吉田教授のお話が終わり、質疑応答の時間となる。質疑の中には、鋭い指摘も多々含まれていた。最初の質問として挙がったのは、市民塾のメリットとはなにかという本質的な問題だ。吉田教授によれば、学生が関与して地域の人たちの間につながりを創りだすという、異世代交流が大きなメリットとしてまずは挙げられるとのこと。


現状としての市民塾に対する厳しい指摘として挙げられたのは、現在の市民塾には、市民が完全に独自で運営していてそこに大学が横やりを入れるような形でサポートを提供するような形が存在するのかという質問である。この点に関しては吉田教授も現在頭を悩ませていらっしゃるご様子で、現状として市民の協力はあまり得られていない、だからこそ逆に理論化して大学内での賛同を得ようと試みている、まだまだ地域には浸透していない、ワードエクセル型の人間が多いとの返答をなさった。また、ニーズとの兼ね合いの問題として市民塾は有効に機能しているのかという問題に関しては、現在徳島の市民塾には登録者が500人余りであり、県別の利用者を調べると地元の人よりも東京、大阪の人が多い、一回限りのイベントとしては機能するがあまり望ましい形で機能しているとは言い難いのが現状であるようだ。この現状は他県の市民塾にも共通して言える事態であるようだ。地域の人たちはITがなくても暮らしていける。これは事実だ。では、市民塾の存在意義とはなにか。非常に難しい問題ではあるが、さまざまな要因の下に、個人的なモチベーションから全体的なモチベーションへと変わる瞬間が存在し、少数の人材は確かに市民塾のような地域活性化の手段に着目するようになることもまた事実であるようだ。


最後に坪田教授が市民塾の軸である「学び」ということに関して、今の文部科学省や教育委員会は教員資格をもつ教育者の権益保護に没頭しすぎなのではないかという問題点を指摘なさった。彼らは今、教育の意味を見失っているのではないか。教育とは、法的な教員資格を持つ一部の人間に限定されたものではない。それは単なる形であり、本質ではない。教育の大改革が必要とされており、教育の受益者である国民一人一人がそうした問題について考えなければならないと強く警笛をならされた。


 


(第2部)


 坪田教授は、前半は地域情報化に携わってきた者としての考えを、後半は自らが2003年に創設した日経地域情報化大賞に関する事例を基にした地域情報化の流れ、大学の役割、教育に関してご講演された。


世界は中東の油田オーナーのように力の論理やかけひきで、他を蹴落としてオレが一番になるというゼロサム派と、グラミン銀行のように教育、知恵、工夫、アイデアで協力して1+1を3にするプラスサム派の戦いであり、地域情報化がこのプラスサム派の世界づくりのきっかけであると述べた。そもそもインターネットの最大の特徴は自立分散型であり、お互いを尊重して様々なテーマで協力できるところである。そのため地域情報化のあり方として、地域は昔のままの日本を保存するという気は全くなく、新しいやり方を学びつつも連携していく、協働していくため、一緒に働く場として存在すべきであるとも述べた。また日本は米国とは違い、元々地縁、血縁によるつながりがメインであったように、馴れ合い的集団主義であるため、競争だけではなく、競争と協調のバランスも大切であるとのお話があった。ただし、現在はこの地縁、血縁関係がなくなってきている。そのためこの競争と協調のバランスを保つような新しい社会の橋渡しとしてコアーのメンバーによる参加だけでなく、たまに参加するような弱い連携の人々との上手なつきあいも求められてくるという。これは市民塾にもあてはまるとのお話があった。


続いて日経地域情報化大賞の受賞事例を見ていくと、2003年の大賞は企業リタイア者が多い地域特性を生かし、ITを通じてシニアの能力活用を実践の取り組みとして行った「シニアSOHO普及サロン・三鷹」であるが、他の受賞プロジェクトを見ていくと、ボランティアにより京都市に公衆無線LAN構築を行った「みあこネット」や兵庫県における過疎地域でのブロードバンド整備推進を行った「関西ブロードバンド」など、初期の頃はどちらかというとインフラ構築が多かったが、最近では産業の情報化の取り組みとして、中小の工務店がネットを通じて連携し、住宅建築過程の効率化を実現した取り組みである「鹿児島建築市場」や、産直販売支援システム「からりネット」や、 山野の木の葉を使った葉っぱビジネス「彩(いろどり)事業」がある。さらに生活の情報化も進み、インターネットを利用したe-ラーニング学習である「インターネット市民塾」や地域SNSである「ごろっとやっちろ」等が受賞した。


こういった生活の情報化の取り組みである「インターネット市民塾」「鳳雛塾」の取り組みに加えて住民がオリジナル番組を作り、発信していくところから地域のコミュニティを作っていく取り組みである「住民ディレクター」という3プロジェクトを福岡県東峰村にて慶應義塾大学の学生がサポートを行いながら地元住民により行われ、これら3プロジェクトが他地域に移植可能であることが証明された。こういった地域活動の1つ1つの成功事例は住民の「何か地域の問題解決をしたい」との思いから生まれてくるという印象深いお言葉があった。


また東峰村の活動のように学生が地域に関わっていくことに対して、学生自身にも大きな変化があるという。日経地域情報化大賞の場合、学生が受賞者に対して取材をして記事を執筆してもらっているが、取材を通して学生が地域の方のあたたかさに触れ、元気になる姿を何度も見てきており、「自分も何かしなくては」と思うようになっているという。坪田氏は「現在の大学教育のあり方は地域で解決すべき課題はたくさんあるが、卒業したら都会へ出るような形になっている。大学は地域に役立つ人材を育てていくべきである。」と最後に大学教育に携わる者としての意見を述べられた。


(意見交換)


 吉田教授、坪田教授のお話の後、自由討議がなされた。そこでは、市民塾を考える上でより本質的な議論が展開されることとなった。


 市民塾を考える上で、最も重要になってくる問題の一つ、それは教育に関する問題である。そもそも、人間とは自発的に学びたがる存在なのか否かという問いがあげられる。市民塾は、地域の人々の学びに対する自発性にある種身を任せる形で成り立つ仕組みである。つまり、人々が学びたがる存在であるか否かは市民塾の存在意義に深くかかわる極めて重要な問題であると考えられる。その問に対し吉田教授は、人は本質的には学びたがる存在であり、市民塾はそうした人をより豊かにする仕組みである、しかし、現在の社会は人々に「学ばなければならない」との強迫観念を刷り込んでおり、ともすればそれは学ばざるを得ない事柄に人を縛り付け、学ばなくともよい事柄を学ぶことから人々を遠ざけているのではないかとの考えを示した。この考え方は討論の場において共感を呼び、同時に学ぶことの喜びを地域の人々に伝えられるようなことを考えていく重要性を痛感させられた。坪田教授も吉田教授と類似の考えを示した。市民塾での教育は学習であり、それを通して人々は知識を得、新たな経験へとつながっていく。現在の日本社会においてはこういう新たな学習が普遍化すべきであるがプラットフォームの整備が間に合っていないので、そうした機能を市民塾が担うことが期待される。また、自分の欲する情報が存在するプル型の機能と未知の情報が開かれているプッシュ型の機能が混在する市民塾の機能をより有効に機能させることにより、地域をよくしていこうという、全体へのモチベーションを持つ人間としてのスイッチが入るのではないかとも期待される。


 地域活性化とはなんなのか。この言葉を一義的に定義する必要はないが、地域活性化を現実的に実現していくにあたり、個々の人たちが自分なりの考えを提示することは意義深いものであるように思う。吉田教授は地域活性化について、地域のバランスが維持できるような人の流入を実現する魅力づくりであり、その地域のいいものをどう活用するかという人材が一定量いることではないか、と考えておられるようだ。地域の魅力を創り、それをより有効的に活用していくためには地域の住民一人ひとりが地域の隠された資源や情報を知覚することが必要になる。坪田教授の考えによれば、経営の目標とは、今ある資源で活力の最大値をつくることであり、今、地域においてそうしたシステムを作り出すことが求められている。江戸時代までは各藩のエコシステムがあったが、明治以降いい人材は東京に集中するようになってしまった。それとともに昔の知縁・血縁社会は消滅し、現在の社会において必要とされるのは情報縁である。お互いを知るためにはSNSが有効であり、それを利用することでより有効的な共同作業が可能になる。また、お互いを知ることによって協働するチャンスを創出することも可能になる。SNSは互いを知り合うまでだが、そこに目的性をもたせたのが市民塾ではないか。市民塾はお互いに学び教えあう一段階上の取組みであるとの考えも示された。市民塾は、単なる情報データベースなどではなく、現代社会におけるさまざまな分野に改革を引き起こす可能性を秘めたシステムであると考えられ、今後とも課題の解決を行いつつ、よりよい成果を地域において引き起こすシステムとして機能していくべきものであるとの意識を強めた。今後の市民塾に対する期待は高まるばかりだ。



  (飯盛義徳研究室 環境情報学部4年 谷口 由季乃)

  (飯盛義徳研究室 総合政策学部2年 百瀬雄太)